中津大神宮は、明治十四年、伊勢の神宮の大神様の御分霊を奉迎鎮祭し、神宮豊前教会として中津城址に御鎮座しました。
創建時は、豊前の国(企救郡・田川郡・京都郡・仲津郡・築城郡・上毛郡・下毛郡・宇佐郡)の方々に
伊勢神宮の神札(神宮大麻)と神宮暦を頒布しておりました。
その後、神宮教、神宮奉斎会と改称の後、 昭和二十一年、『中津大神宮』と改称され、今日に至っております。
『豊前の国のお伊勢様』と親しまれ、地域の方々はもとより、多くの人々の心のよりどころとして、崇敬を集めています。
八百万の神様の中でも最高神と仰がれる天照皇大神様は、万物を育む「太陽」にも例えられ、その御神徳は、開運招福・家内安全・安産・病気平癒など広大無辺です。また、豊受大神様は、農耕の神、衣食住の神、あらゆる産業の神といわれておりますので、五穀豊穣・商売繁盛・諸産業繁栄・交通安全など、その御神徳は多岐にわたります。
御本殿は伊勢の神宮と同じ、神明造りです。奉拝殿は、勇壮、かつ豪壮にして、近郷では珍しく妻入り縦長型の大型拝殿です。
内部は、上・中・下三段の間を設け、明治の日本を代表する書道家、宮小路康文謹書の『大哉神徳』の大扁額が掲げられています。
また、格天井には、創建当時の崇敬者等の手による天井絵の二百十六枚もの書画は、創建当時の崇敬者により奉納されたものです。
宮小路康文謹書の『大哉神徳』の大扁額
中津大神宮拝殿の天井絵